「そこそこ」できること・「しっかり」できること

ご無沙汰しています。

 

まったく私事ですが、最近わたくし、おんまさんに乗り始めました。

馬といえば「ブルジョワの趣味」。そのイメージは相当に強いし、ご想像通り、初期投資もランニングコストもかさみます。しかし。子ども時分に体験し、猛烈に憧れつつも端から諦念してきた乗馬です。寝た子を起こしてしまった情熱は、もはやジョーバくらいで誤魔化せるもんじゃない。

というわけで始めてしまった乗馬、もう座学・実践学ともに気合入れまくりです。

 

さて、スクールの方針でしょうか。

入会当初の「手取り足取りケア」をひとまず卒業すると、やおら一人歩きを求められます。インストラクターの手を離れ、そこそこ独り乗りができるようになると、指導の濃さやマメさをはじめメンタルケアもやや希薄になりました。もちろん積極的に疑問をなげて教えを乞うていけばいくらでも教われるのですが、まさに、これからは「あなた次第」ーー補助車はとれたんだから後はご自分のペースでどうぞ、という感じです。

 

なるほど。こういうの好きです。

 

それならそれで。

インストラクターに自分のいまの課題を列挙してもらいました。

ふだん改めるべきは1つくらいしか仰らないのに、そのときは矢継ぎ早に3つ4つ挙げてくださいました。次のレッスン時、その一つ一つを丁寧に辿っていたら、早速「すばらしくいい姿勢で乗っている」というかつてない評価が返ってきました。基本を見直した甲斐があったのは嬉しかったけど、落ち着いてふりかえってみると、もしや、この違いを知らずにいたらそれこそ拙かったんじゃないのか~という間一髪感も、ひしひしと募ってくるのです。

 

物事を教わるとき、難しさの一つに「さじ加減」というものがあると思いますが、そのときまさに、そのさじ加減の深さが少しわかったような気がしました。

 

上手に乗れてますよ、バランスも姿勢もいいですよ、といった褒め言葉は、周囲でもよく聞かれる評価です。言われた側も「こんなもんでいいんのかな」「いいんだろうな」と、あたかもお墨付きをもらったような錯覚を抱きます。わたしの場合も、あえて問わねば指摘されない程度にはできていたのです。ですが、いざ問うてみれば「あれもこれも」正す必要がありました。

 

そして、一つ一つを細かく意識しなおしてみると、未だこんなにも脚力を使わねばならないのかと実感するほど、それまでの乗り方とは違うものだったのです。「こんなもん」どころか、さらに3割増しの注意深さでもって身体を使わねば基本姿勢は実践できない、それほど差のあるものでした。

 

 

このときの経験はなにやら奥が深い気がして、何度も反芻しています。

 

このインストラクターに限らず、たぶん人は誰でも他者を指導するおり、「まあまあ6割7割はできている」という問題にはあえて突っ込んだ指導はしないものなのではないでしょうか。自分を振り返ってみても、そうかもしれません。それより、もっとできないことに目を向けてしまいます。もっと目立つ粗に意識を向けてしまうのです。「そこそこ」レベルが十分なのものかというと、全く不安定であるにもかかわらず、ひとまずそこを看過してしまいます。

 

これ、ヤバいですね。

まさに、冷や汗ものです。

 

「基本を大切に」という言葉はどんな分野でも口を酸っぱくして言われることと思いますが、おんまさんも然り。先に進んだところで困窮するのは目に見えています。「そこそこ」できるようになってから、さらに3割増しの厳しさでもって、基本を大事に、臨まねばいけないんだと自戒した貴重な経験でした。

 

馬はおもしろいです。

うん。ほんっとおもしろい。

もっともっと、がんばろっと。