間違えたときこそ、わかるとき

ご無沙汰しております。

 

そうなんです。

わかってないときは、間違っていてもわからないものです。

自分を振り返っても、そう思います。

間違いを指摘する力のある人に指摘されて初めて、「あ、違うのか」と愕然とする。恥ずかしくて消え入りたいけど、でもその気づかされた瞬間こそ、本当はとても大事にしないといけない。

 

間違いを指摘すると、子どもたちは条件反射して自分の誤答を消そうとします。あるいは、二者択一の問題であれば書き直して大きな赤丸をつけようとする。

 

ちょっと待って!!

 

わたしは慌ててその手を止めます。

子どもたちに聞きたい。

 

どうして説明を一言も聞かないうちから消そうとするのかな。

 

どこが間違いなのかわかっていますか。

どうしてそこが間違いなのか説明できますか。

どう書き直したら正しくなるかわかっていますか。

 

自分で「ほんまや。間違ってた」って気づくときは、OKですよ。

それは単なるケアレスミス・不注意だっただけだから。

なにをどうしたらいいか判っているときだから。

 

もっと困るのは、二者択一問題です。

A が間違いだから、B なんだな……くらいの見直し方で、

大きな赤丸を自分でつけちゃうのって、どうでしょう。

 

どちらが正解かわかったら、それでお終いですか。

どうして A じゃなくて B なのか。

どうして B じゃなきゃダメなのか、説明できますか。

 

その理由がわからないのに、

自分に大きな赤丸をご褒美するのって、おかしくないか。

 

どんな問題に向き合うときも、

「なぜなのか」を必ず考えましょうよ。

どうして、コレでなければいけないのか。

コレでもソレでもいいときもあります。

だけど、コレだけはダメかもしれない。

 

その理由をきちんと知ることが、「わかる」ことです。

 

理由がわからないのに、

大きな赤丸をどーんとつけることに、なんの意味もありません。

そもそも、赤丸なんか全くつけなくても構わないくらいです。

 

むしろ、大きなバッテンをつけましょう。

そして、そのバッテンの理由を知りましょう。

そのバッテン問題を、何度もといてみましょう。

バッテンこそ、もっともっと大切にしなければいけません。