英文エッセイを書くにあたって

みなさんは、ふだん文章を書くという習慣はおありでしょうか。

「文章を書く」には、そもそも書きたい内容がなければ成り立たないのですが、一本のトピックの中に書きたいことがありすぎても、これまた大いに苦しむものですね。今回わたしは、Halloween をとりあげて書いてみたのですが、これがまあ、説明したいこと語りたいことがありすぎて、まとめるのに四苦八苦しました。実に、2週間あまりのあいだずっと悩んでおりました。

 

これが最初から和文で書いていれば楽にまとめられたのかもしれません。実際、英文で書き進めていても、書きたいことが広がるばかりで、なにをどう収束させればエッセイとして閉められるのか見えなくなっていました。根負けして、気分転換に和文で書いてみたら、なんだ、すーっとまとまるではありませんか。ああ、こういう展開にしてから閉めればいいのかと、ようやく出口の明かりが見えた気がしたものです。

 

英文エッセイを書くというと、日本語で考えてからそれを翻訳するのだろうとお思いの方がいるかもしれませんね。じつは違います。わたしは違います。英文和文の両方でエッセイを書くとき、右から左へと翻訳するようなプロセスは意外にとりづらいものですし、どちらかというと、そういう作業はしない方がいいです。英文と和文とでは、エッセイ全体の構成の組み立て方が違いますし、また日本語を英訳しようとすると、とかく和文の構造にひきずられて不自然な英語になりがちだからです。

 

和文では、起承転結という言葉もあるように、一般的には、後ろへ後ろへとつなぎながら終盤で大きく展開させ、そして閉めにかかることが多いですが、そんな和文に対し英文では、何について語るのかを先に明示しておき、状況にあわせて詳述し、説明しきったところで、まとめとして結論を繰り返す――このようなマクロからミクロに入るような書き方が、一般的だと思います。余談ですが、英文記事にもこういうルールは起用されていることが多いので、読むときにもこのルールにのっとっていけば読みやすくなるということです。

 

このようなわけで、和文を書いてから英文にとりかかったことは一度もないのですが、行き詰った時には、解決策として和文でまとめてみるプロセスが必要かもしれませんね。なんといっても、英文と和文とでは脳内の処理速度が違います。また、書くという行為そのものに、考えをまとめる機能があります。それだけに、今回のように彷徨いつづけるという失敗を繰り返さないためには、落としどころを明確にするために和文に戻ることも大事かな、といま思案しているところです。

 

 今回の英文は、日本にも滞在していたことのあるネイティブに原稿チェックしてもらいましたが、彼から頂いた評価が、やはり日本語から訳すようなことをしていないから自然な英語だし読みやすかったというものでした。そうなんですよね。常にそういう状況でありたいんです。常に英語で考え、英語でリアクションし、英語で怒ったり笑ったり、究極的には英語で言い争いもまくしたられるようにありたい。さらに、その精度を上げ続けていきたい。それが英語学習の感覚面でいうところの目標だと思います。

ということで、今日も一日張り切っていきましょう!